「アメコミはポリコレのせいでつまらなくなった」
はい、もう皆さん聞き慣れた文句ですね。
でもちょっと考えてみてほしい。
ここでいう「ポリコレ」ってなんじゃらほい。
はじめに
今年の春頃から2018年に自分が書いたコミックスゲートに関する記事が何度か引用されていることに気づきまして。
改めて自分でも読んだんですが、なんかなー、と。
いや、別に主張が大きく変わったとかってわけではないんですが。
ただ、古い情報を基に構成されている文章なので2021年現在の現状を踏まえてちょっとアップデートしてみたかったり、ついでにもうちょっと深堀りしてみたかったり。
そんなわけでネット記事とか関連書とか読み漁ってここ最近の業界の動向とか表現に関する云々とか素人目でちょいちょい調べてたんですが、まず最初に気づいたのが。
「ポリコレ」
この言葉、随分と目につくようになりましたです、はい。
少なくとも2018年の記事を書いてた時期では日本で「ポリコレ」って言葉が使われている場面ほとんど見かけなかったと思います(あったら多分記事内で使ってた)。
アメコミ界隈で使ってるひとをほんのり見かけたかもしれないってくらい。
でも今ではアメコミ界隈でなくとも結構多くの人が使ってます。
ただ、読めば読むほど混乱するというか。
「あれ、この文脈でどうして『ポリコレ』って単語が出るんだ?」
みたいなものも増えてきて。
その最たるものが最初に挙げた
「アメコミはポリコレのせいで衰退した」
というヤツ。
ここで使われてる「ポリコレ」ってどういう意味で使ってるんでしょうね。
差別的表現を排除しようとする動きのこと?
多様性重視なキャラ構成とかクリエイター陣のこと?
それとも単に社会批評性の強い作風のこと?
いや、大半の人がプロパガンダのキャッチコピーをそのまま吐き出しているだけなんでしょうけれど。
一方でこれに端を発して各方面で鍔迫り合いみたいなのが発生しているのも事実なわけで。
この言葉がどういう意味を持つかによって全然議論の切り口は変わってくると思うんですが、その前提が共有されていないために会話が噛み合わなくなっている場面が少なからず見られました。
そりゃそうだ。
単に「説教臭いストーリーがうぜえ」という意味合いで「ポリコレ」批判をしている人に「でもマイルス・モラレスはウケてるよ」と言っても「だから何?」という感じでしょう。
そんなわけで自分も正しい意味を捉えようと「ポリコレ」の定義を確認するためにググってみたんですが。
これがまたややこしい。
この「ポリコレ」 - 「ポリティカル・コレクトネス ( POLITICAL CORRECTNESS )」 - という言葉。
辞書サイトに一応載ってはいるんですが、すごく限定的な用法でしか捉えていないというか。
語源とか現代的な用法とか調べてみても記事によって言ってることが違ったりして非常に掴みどころのない言葉です。
そんなわけで今日は「ポリコレ」に対する自分の認識みたいのをお披露目したいと思います。
参考にしたのはググってすぐに出てきたこのあたり。
注意点
読む前の注意として
文献などにはあたってないので歴史的な正確性について担保できません。
間違っても鵜呑みにしないで下さい。
あと、2010年代以降の動向については自分の主観で話してるのでほぼ妄想といっても差し支えないです。
それでも構わないという寛大な心の方だけ以下お読み下さい。
第1章 最初はリベラル側の言葉
現代における「ポリティカル・コレクトネス ( POLITICAL CORRECTNESS )」という単語を考える上でスタートラインとして最も適当なのはおそらく1960年代から70年代です。
この頃、米国ではアフリカ系アメリカ人の公民権運動や女性解放運動などが盛り上がりを見せており、「ポリティカル・コレクトネス」という言葉もその中で盛んに使われました。
一応、これ以前にも同じ言葉はあるにはあったものの、使われる場面や用法が現在のそれとやや断絶があるのでひとまずここでは省きます。
当初「ポリティカル・コレクトネス」とか「ポリティカリー・コレクト」といった言葉は一般にリベラルの人達が使っていた言葉みたいです(一部例外あり)。
ここでのリベラルというのはざっくり「差別を排し、多様性を尊重する方向へ社会を変えようという考えの人達」という認識。
”左派”なんて言い方もします。
「ポリティカル・コレクトネス」はこうしたそんなリベラルの中でもあれもこれも「差別だ」「配慮が足りない」と目くじらを立てて糾弾するような、あからさまに極端な輩を皮肉る意味で使われていた模様。
つまり、思想的政治的には正しいものの、それが行き過ぎているため配慮に欠けている状態、とでもいいますか。
端的に言えば自虐的な意味で使っていたといったところです。
第二章 変化① 主導権がリベラルから保守へ
これが80年から90年代にかけて保守が使うようになると、ニュアンスがやや変化してきます。
ここでの保守とはざっくり「秩序を重んじ、現状の社会体制を維持しようという考えの人達」という認識。
”右派”ともいいます。
この時は保守に近い考えを持つ大学教員らが左派的な主張や思想が教育現場に蔓延することを危惧し、こうした動きを牽制する目的で使い始めた模様。
なんにせよ、保守が自分達の思想と対立するリベラルに対して使い始めることで「ポリティカル・コレクトネス」という言葉は大きく攻撃性を帯びるようになります。
個人的にはこれにより「ポリティカル・コレクトネス」という言葉の主導権がリベラルから保守層へ移り、それと共にそれまで極端な輩に限定されていたこの言葉の指定する範囲がリベラル全体へと広がった印象です。
ちなみに「ポリティカル・コレクトネス」は英国でも頻繁に使われるようになった結果、主に報道メディアを対象に保守層が左派ジャーナリズムを攻撃する目的で使われるようになったみたいです。
第3章 変化② 攻撃対象が「配慮」から「推進」へ
で、そうこうするうちに時は移って2010年代後半。
ドナルド・トランプが登場。
選挙戦などで「ポリティカル・コレクトネス」という言葉を積極的に使い始めます。
この人がどこまでこの言葉の意味を承知の上で使っていたのかはわかりませんが、彼の発言をメディアが積極的に取り上げたことにより結果としてそれまでこの言葉に馴染みがなかった若年層含む一般層にも浸透。
海外の SNS で”POLITICALLY CORRECT”とか略して”PC”とかの単語がぽつぽつと見受けられるようになります。
自分も初めてこの単語を見かけたのはこの頃ですね。
さて、排他主義を推進するトランプの登場に呼応するようにして『ゲーマーゲート』とか『コミックスゲート』といった特定のエンターテイメントに特化したオンライン上の保守系共同体もこの頃に頭角をあらわしてきます。
ここにおいて「ポリティカル・コレクトネス」という言葉の用法がまた少し変化します。
それまでの「ポリティカル・コレクトネス」はどちらかといえば「不適切な表現に対する過剰反応」というニュアンスで使われていましたが、映像・ゲーム・コミックといった場面ではそこから更に一歩踏み込んで「多様性の過剰な推進(とそれに伴う白人や男性の冷遇)」という意味合いでも使われるようになりました。
具体的にいうとそれまでは「いちいち『蔑視』だ『差別』だとケチをつけるな」と言う文脈で使っていたのが、「女性キャラや有色人種のクリエイターばかりを優遇するな」と言う文脈でも使われ始めたというイメージです。
こうしたニュアンスも以前からあるにはあったのですが、ここ最近のエンターテイメントや芸術方面を論ずる場面では特に「差別的表現の制限」より「リベラル的価値観の推進」という意味で「ポリティカル・コレクトネス」という言葉が使われる例が増えたように思います。
海外のコミックスゲーターが「ポリティカル・コレクトネス」と呼んで目の敵にしているのは大体こちらかと。
(追記:改めて調べてみたところ上記のような多様性を重視した作品を指す場合には同じような意味の言葉で『ウォウク(WOKE)』というものがあり、『 PC 』よりむしろこちらの方が頻繁に使われているかもしれません。
『ウォウク』は直訳すると『目覚めている』となり、日本語風に言い換えると「(人権方面に)意識高い系」といった感じです。)
ところでゲーマーゲートやコミックスゲートの中心になっているのは「オルタナ右翼」と呼ばれる連中で、自分も2018年の記事でさらっと書いちゃってるんですが。
「オルタナ右翼」とはざっくり右派の中でも極端な人達、いわゆる”極右”といわれる人達のことで、特に白人至上主義と反グローバリズムに特化しているという特徴があります。
「オルタナ右翼」という名前は自分達で付けた通称らしく、現在の「国際主義や左派リベラル的思想が蔓延する」政治に取って代わる(ALTERNATIVE)存在という意味で”オルタナ”というそうです。
ゲームやコミック以外でも SF 小説をターゲットとした「サッド・パピーズ(SAD PUPPIES)」というキャンペーンを扇動した連中なんかがいました。
彼らはヒューゴ賞の結果を弄ろうとしたようなんですが、失敗して今は自然消滅しています。
第4章 変化③ 和製英語化による意味のカンブリア状態
で、ここ数年で「ポリティカル・コレクトネス」という言葉が日本に入ってくるわけですが。
最初から政治よりもエンターテイメントにまつわる単語として登場したといいますか。
なんか今回のパンデミック、というかパンデミックの巣ごもり需要で世界的に日本の漫画の需要が高まったあたりから急に色んな人が使い始めた印象です。
世界の目が一斉に向いたことで”多様性”という視点が突然発生したことに対する反動というか、急に国際化という舞台に放り出されたことによる困惑といった面もあるのかな、と自分では思ってます(このあたりはもう少し調べたいところです)。
で、ここぞとばかりに横文字好きの人とかコミックスゲートとかの啓蒙活動にあてられた人達が「 POLITICALLY CORRECTNESS 」という言葉を輸入。
「ポリコレ」という和製英語が爆誕します。
「ポリコレ」という単語自体はあちこちで見かけるようになりましたが、その意味は人によってかなり違います。
字面通り「政治的正しさ」という意味で肯定的に使っている人。
「言葉狩り」という言葉の代わりに使っている人。
単純に「多様性」とか「国際市場を意識した内容」という意味で使っているような人も。
はっきりどれとは言わないものの、ちょっと前に軽く炎上していたネットの対談記事では話者同士で意味が共有されてないどころか、同じ人物の発言でも意味がブレブレなのとかありました。
まあ冒頭でも述べたとおり大半の人は「アメコミはポリコレのせいで云々」と、意味とかよく考えずになんとなく使ってる印象です。
第5章 まとめ
以上が現状における『ポリコレ』という言葉についての私の認識です。
まとめるなら「『ポリコレ』という言葉は使い勝手が良すぎて色んな人が色んな意味で使っている」といったところですかね。
ざっくり。
正確さ未知数。
主観マシマシ。
多分専門家とかに怒られるレベル。
変なところはご指摘頂ければ幸いです。
鵜呑みにはしないで下さい。
何にしろ、そんなわけで現状日本で「ポリティカル・コレクトネス」とか「ポリコレ」とかと使う時、誰がどんな意味で使っているかを見極められないとややこしいことになるというか。
そもそも見極めることが至難の業というか。
大概、まともな対話が成立しません。
本ブログ内での『ポリコレ』
じゃあ、ここまでの話を踏まえてどうしようという話になるわけですが。
とりあえずこのブログ内における「ポリコレ」という単語を定義したいと思います。
本ブログ内で「ポリコレ」という単語を使う時、私がどういう意味や意図で使っているかを理解して頂ければ多少は誤解を減らせるのではないかと思った次第です。
そんなわけで自分がここまで調べたり、解釈した範囲で定義するとしたら『ポリコレ』とは
「恣意的な政治思想、特に多様性を重視する価値観に基づいた表現あるいはその評価に対する強制もしくは制約」
くらいが妥当なんじゃないかと。
わかりにくいかもしれませんが、これでもかなり短くまとめたつもり。
”過度に”という文言を盛り込んでも良かったのですが、現在既にこの用法は形骸化していると考えて省きました。
逆に”多様性”云々という部分については右派版ポリコレみたいのもあるし省いても良かったのですが、現在一般的な用法ではここが一つの軸となっているのは否定できないので留めました。
指摘などがあって認識を改めた際には無論修正するつもりですが、とりあえずこのブログの内部で「ポリコレ」という言葉を使う際はこの意味で通そうかと。
……とはいうものの、こんな面倒くさくて気持ち悪い単語、今後使うことなんてないんじゃないかなーという気がします。
それに2018年の記事でも書きましたが、私は業界に特定の政治思想に基づいた『ポリコレ』が蔓延しているという主張には懐疑的ですし、多様性の推進はむしろ大歓迎なので。
そんなわけで盛大にちゃぶ台をひっくり返したあたりでそろそろ目が疲れてきたので筆を置こうかと。
今後もこんな感じで業界の現状とかについての雑談記事みたいのまたあげるかもなのでよろしくお願いしまーす。
以上。