#1 女性、PoC(People of Color)、LGBTなどのクリエイターがそのアイデンティティのみを理由に多数採用されているせいでコミックの質が落ちている。
#2 業界(主にマーベルと DC )が社会的正義に溺れて SJW 的な作品が蔓延しているために客足が遠のき、多くのコミックショップが閉店に追い込まれている。
#3 過激な発言をするのは一部のみで、ほとんどの者は単に政治抜きの面白いコミックを読みたいだけ。
……以上の3点が”#COMICSGATE"というハッシュタグと共に投稿される内容の主たるものである。
まあそんなわけで今回は最近あちこちで話題になっている「コミックスゲート」に関して、軽い解説を混じえながら私見を述べさせて頂こうかと。
まず、コミックスゲートの歴史に関しては以下の INVERSE.COM の記事がおそらく最もわかりやすいだろう。
この単語を初めて見聞きする人のため簡潔に述べるならば「コミックスゲート」とは、オルタナ右翼的な一部読者が主に SNS 上で行っているキャンペーンのことだ。
2017年はじめにマーベルの編集者であるヘザー・アントスが他の女性クリエイターらと共に撮ったセルフィーを SNS に投稿したところ、それに噛み付いたファンが同ハッシュタグを使いだしたのが始まりとされている。
以来、昨年から今年にかけて「#COMICSGATE」というハッシュタグと共に上のような主張を繰り返す投稿があちこちで出没するようになり、中には特定のファンやクリエイターを狙い撃ちして誹謗中傷するような内容もあるため問題視されるようになった。
なお、「コミックスゲート」という名称はゲーム業界で数年前に流行した同様のキャンペーン「GAMERGATE」(「 GAMER"S"GATE 」というオンラインゲームストアとの混同に注意)にあやかったもの。
代表的な支持者には「 DIVERSITY AND COMICS 」というユーチューブ番組を運営しているリチャード・メイヤーや、かつては DC やマーベルで活躍していたこともあるアーティストのイーサン・ヴァン・スカイヴァーなどがいる。彼らは以前から業界での保守的な立場を明確にしており、同じ思想を持つファン達の間では旗振り役として知られていた。このブログで記事にした「 JAWBREAKERS 炎上騒動」にも少なからず関わっている。
最近では故ダーウィン・クックの過去の発言を引用して勝手に彼を自分達の支持者に仕立て上げようとしたところ彼の妻であるマーシャ・クックと SNS 上で口論になったことを機にビル・シンケヴィッチ、トム・テイラー、ジェフ・レミーアをはじめとした多くのクリエイターがコミックスゲートを糾弾したところ、反発した同キャンペーンの支持者が不買運動を起こしたことも記憶に新しい。
一方で先日、極右活動家として知られるヴォックス・デイという人物が「 COMICSGATE 」という名称を勝手に使って新出版レーベルを立ち上げようとしていることが明らかとなり、ある種の内紛が生じて事態は泥沼化している。
さて、こうしたアイデンティティにまつわる対立は根が深く、また様々な要因が複雑に絡み合っているため軽々しく口を挟めるものではない(実際、当初このネタはエッセイコミックの形で提供しようとしていたもののいらぬ敵を作りそうなのでボツにした)。
だが1人のコミック読者として今の状況が看過できるものでないことも事実だ。
なのでここでは一番最初に挙げたコミックスゲートの主張×3に対する私なりの反駁を話が大きくなりすぎない程度に示してみようと思う。
#1
まず履き違えてならないのは、アイデンティティのみを理由に仕事が貰えるほどコミック業界は甘くないということだ。
日本のマンガ業界のように「新人賞」というものが(ほぼ)存在しない欧米コミック業界ではクリエイターの数だけ業界デビューの方法があると言われており、出版社が他業種からクリエイターを引っ張ってくるのもよくあること。喩えコミックに初めて挑戦する者であってもそれ以前に小説や映像、ジャーナリズムなどで何らかの実績を積んでいる場合がほとんどだ。
スコット・スナイダーやタナハシ・コーツは先に小説家としてデビューした。キーロン・ギレンはゲーム・ジャーナリストとして知られていたし、ゲール・シモーヌはブログのコラムニストから頭角を現しライター職にまで漕ぎ着けた。無論、自分でオリジナル作品を作った後、メジャー出版社に引き抜かれたクリエイターも数多い。
このようにコミック業界にデビューする方法は無数に存在するが、人種や性的指向をダシにするようなものはまずない。
もちろん、自らのアイデンティティを盛り込んだ作品で成功を収めた人もいるだろう。だがそれもクリエイターとしての実力が評価された結果だ。アイデンティティのみが評価されたものでは決してない。
#2
そもそも業界が社会的正義に溺れているかどうかということ自体異論があるし、またそれが原因で客足が遠のいていると結論付けるのも早計だ。
出版社が様々なアイデンティティのヒーローを打ち出すことは現在の多様化社会を反映したマーケティング戦略として至極当然の流れであるといえるし、むしろこの動きは遅きに徹したとさえいえる。
また、コミックスゲートの支持者はこのことと最近になって多くのコミックショップが閉店に追い込まれていることとを結びつけたいようだが、この2つの出来事を因果関係で結びつける客観的なデータは今のところ存在しない。
コミックショップの閉店には電子コミックの隆盛をはじめとした諸々の原因が考えられ、作品の内容だけにそれを求めるのは無理があるだろう。マイルス・モラレスやジェーン・フォスターの例を考えればこの動きはむしろ新たな読者を開拓しているとさえ言える。
#3
正直この”政治抜きの作品”という点についても色々言いたいことはあるが、おそらくここでの意味は「(読んでいる当人にとって)急進的な内容」、「(読んでいる当人にとって)プロパガンダ的な作品」ということだろうと思うので深くは追及しない(”政治抜きの作品”を求める彼らの行うコミックスゲートに政治性はないのかと疑問には思うが)。
しかし”過激な発言をするのは一部のみで多くのキャンペーン支持者は単にコミックの現状を憂いているだけ”という発言は無責任と言わざるを得ない。
その「過激な発言をする一部」が数多くのクリエイターやファンを攻撃する中、集団内での自浄作用を働かせることもないまま「#COMICSGATE」というキャンペーンを支持し続けるというのは喩え直接関与していなくとも支持母体を与え「過激な一部」の力を増大させているからだ。
「#COMICSGATE」に対する一般からの否定的イメージが定着している現状でそれを払拭する意思も見せなければ、「過激な一部」と同じ集団であることを良しとしてその行いを見て見ぬふりしていることを全くの無関係と言うのは無理があるだろう。
……と、まあ以上がコミックスゲートの主張に対する私の反駁だ。知識不足な部分や言葉足らずな部分はあるかもしれませんがどうかご容赦下さい。
長い間マーベルや DC のスーパーヒーロー作品を読んできた者達にとってその”歴史”や”伝統”が重要であることは理解できる。また両社の編集方針に拙い部分があるのも事実だろう。
だがそれは差別的な言動を許す理由にもならなければ、ましてファンやクリエイターに脅迫めいた誹謗中傷をしても良い理由になど決してなり得ない。
言論の自由には発言の責任が伴うのだ。
私はあらゆるクリエイターによるあらゆる作品を読みたいので、現状における多様化の動きは大歓迎だ。故にコミックスゲートの考え方を支持することはできない。
業界が裾野を広げ続けているからこそ翻ってこうした排除的な思想を持つ者が出てくるのは仕様がないのかもしれない。
しかし彼らがそれに甘んじて他者を攻撃するようなことがあれば私は断固としてそれを非難する。
コミックはあらゆるクリエイターに開かれたものでなければならない。あらゆる読者に開かれたものでなければならない。
喩え拳を伴わない暴力でもそれを許す業界に未来はないし、送り手受け手を問わず業界に携わる者にはこれに抗う勇気が求められる。
そしてその勇気が求められるのは今だ。
(追記)以下続編的な記事になります。
www.visbul.com