アメリカのコミック業界は海外や他メディアから大きな影響を受けてほんの少しの間に景色をガラリと変えることがあります。
有名なのは80年代から90年代にかけてアラン・ムーアやらグラント・モリソンやらニール・ゲイマンやら英国出身のクリエイターが大量に押し寄せてきた”ブリティッシュ・インベージョン”。
日本の漫画からもちょいちょい影響を受けており、絵柄やストーリーに反映されているものを見つけられますね。
そしてそういうものの中に70年代頃(場合によっては60から80年代と記載されることも)あったと言われるのが DC が中心となってフィリピン出身のアーティストを大量に採用した”フィリピノ・インベージョン”と呼ばれるものです。
以下に記すのは、ミシェル・フィーフェがツイートで紹介したブログ記事で知った話なんですが、いつの間にかそっちが消えていたんで忘れない内に書き留めておこうと思った次第です。
元ネタはジャック・カービィのアシスタントなどを務めていたこともあるマーク・エヴァニアが COMIC BUYER'S GUIDE に寄稿したアルフレド・アルカラの追悼文。
エヴァニアのブログからも読むことができます。
www.newsfromme.com
70年代に DC がフィリピン系アーティストに目を付け大量に採用しようとした際のエピソード。
マニラのホテルで DC の編集をやっていたジョー・オーランドと面会したフィリピン出身のアーティスト、アルフレド・アルカラ。
オーランドに「週何ページくらい描ける?」と問われると「40ページ」と答えた。
オーランドさん驚いた。
当時の DC ではどんな速筆でも週10ページが限界だ。
この人、仕事が下書き(ペンシル)か清書(インキング)だけだと思ってるんじゃなかろうか。
そこでオーランドさんは言った。
「作画の作業は下書き、清書、それに写植(レタリング)も含まれるんよ」
「なるほど」とアルカラさん。
しかし「じゃあ改めて週何ページ描ける?」と尋ねると、アルカラさんはまた「40ページ」と答えた。
困惑するオーランドさん。
やはり相手は何か勘違いしているようだ、そうだもしかすると1ページと言っても精々2,3コマの描き込みも細かくない絵を想定しているのかもしれない。
合点がいったオーランドさん、おあつらえ向きにニール・アダムスやジョー・キュバート、それにカート・スワンらが描いたページが手元にあったので、それをアルカラさんに見せた。
「私達が言っているのはこれくらいのレベルの作画なんだ」
「ははあ」と頷いたアルカラさん。
「これくらいのページを下書き、清書、それに写植しろと?」
「それなら話は変わってきますね」
でしょうね、とオーランドさん。
「それで。週何ページ描ける?」
アルカラさんは答えた。
「80ページ」
アルカラの速筆ぶりとイラストレーターとしてのレベルの高さを窺えるエピソードです。
ちなみにこの後結局オーランドは週40ページということでアルカラを採用しホラーなどを中心に作画を任せたところ、毎週のように緻密に描き込まれたページが大量に送られてきたので、またアルカラの変幻自在な画風もあり、事情を知らない DC 内の者達は "Alfredo P. Alcala" という名は複数人からなるアーティストの共同ペンネームだろうと思い込んでいたとか。
フィリピノ・インベージョンではアルカラの他にもトニー・デズニーガ(ジョナ・ヘックスとか生み出した人)など多くの才能が押し寄せてきましたが、これもアメリカのコミック業界でよくある話でやはり差別や雇用の問題がついて回ったらしく、アルカラも後にかなり不遇の扱いを受けました。
上で紹介したマーク・エヴァニアの記事にはそのあたりのことも詳しく記されているので興味がある方は是非ご一読あれ。
またフィリピノ・インベージョンについてはちょっと前に『 ILLUSTRATED BY 』という名のドキュメンタリーが制作されたそうで、私自身機会があれば是非観てみたいところです。