記事は3つに分けたものの、ここまで読むのは一気。とりわけ今巻はページを捲る手が止まらない止まらない。良いもの読ませて頂きました。
原書合本版(コンパクトサイズ)(Amazon): Runaways Vol.3: The Good Die Young
6人の子供達(+1匹)がスーパーヴィランである親元を逃げ出してから既にだいぶ経つ。頼りにしていたNYのヒーロー達がやってくる気配はなく、各々にも疲労の色が目立ってきた。そんな中、両親の所有していた秘密の書を読み解くことに成功したAlexは事態を一気に打開すべく、もうすぐ執り行われるという新たな儀式を襲撃しようと提案する。
クリエイター陣はライターBrian K. VaughanにアーティストAdrian Alphona、カバーも一貫してJo ChenとVol.1とほぼ同じ体制。#18のカバーなんかはここまで読んできた上で眺めるとかなりグッとくる。
コミックスクリプトのみならず、映画脚本にしろ小説にしろ文章で物語を制作するには大きく分けて2つの方法があると言われている。
まず1つは最初から原稿にダイブ・インしてしまう方法。作者自身ももどこに向かっているか分からないまま、物語の赴くまま人物の動き回るがまま、その後を追うように執筆していく。小説で言えば村上春樹やStephen King、コミックで言えばGrant Morrisonなどのクリエイターがこちらの方法を使うことで知られている。ナチュラルとでも言おうか。この手法のメリットは物語やキャラクターの行動に枷がないことで自由度が高くなるということだ。
言うまでもなく、もう一方の手法は最初にプロットやアウトラインをある程度固めてから実際の執筆に入るというもの。小説だとJ.K. Rowlingだとかがこちらの手法を使う。現在もそうしているかは不明だが、Alan MooreもSupermanの名作『FOR THE MAN WHO HAS EVERYTHING』を執筆した際はストーリーをまずアウトラインに書き起こした上で執筆していた。こちらの手法を使うメリットは何より物語が初めから終わりまで見通せるということだろう。伏線を張ったり展開の緩急を操作したり、ストーリーを自由自在に舵取りできる。とりわけアメコミのように1冊のページ数が規定されているような媒体にはこの方法は向いているかもしれない。
一方で、物語をアウトラインの枠にはめ込む必要性から、無理な展開があったり登場人物がキャラクターにそぐわない発言をしたりという違和感が出やすいというデメリットもある。
ここまでのVol.1#1−18を全て収めた合本(Amazon): Runaways: The Complete Collection Volume 1
インタビューやコンベンションでの発言を聞く限りではVaughanもまた作品を手がける際は大枠を決めてから実際の執筆に入っていくタイプのようだ(『SAGA』なんかもかなり初期の時点で既に最終号までの目安をつけていた)が、彼の才能はそれでいながらまるで登場人物たちに不自然な言動がないということだ。
Vaughanの作品の大きな魅力はそのカジュアルなダイアログと抜群の物語構成にある。本巻でもいかにもティーネイジャーらしい会話が全体にアップビートな雰囲気を醸す一方で、ストーリーには無駄もなければ無理もない。極めてシームレスだ。裏切り者が誰か明かされるシーンでは、張り巡らされた伏線の数々にあっと驚かされる。
さて、鮮やかな締めで幕を閉じた家出少年少女の冒険だが、彼らの活躍はこれで終わりではない。
少し余韻を楽しむか、すぐにでも続きを読み始めるか…うーん。
原書新装版合本(多分通常サイズ)(Amazon): Runaways Vol. 3: The Good Die Young