『GODZILLA IN HELL』 — よし、乗った。
Godzilla in Hell [ James Stokoe ]
まず題名を目にした時点で抵抗する術はありませんでした。
タイトルに偽りなし。本作はゴジラがとにかく地獄を舞台にいつも通り練り歩くだけの話だ。人間は1人も出てこない。無論、それは立ち塞がる輩がいないことを意味するのではなく、自衛隊がいない代わりに天使と悪魔がおり(ちなみに天使の羽は柄がモスラ)、在来線爆弾がない代わりにこれまで倒した敵怪獣の亡霊がいる。
一応#1の最初で地獄に落ちる描写があって#5のラストでラストらしい(敢えてネタバレのために伏せておく)描写があるものの別に続き物というわけではなく、あくまで「ゴジラが地獄に堕ちる」というモチーフのみを共有したアンソロジーといったところ。以前紹介した『GODZILLA: THE HALF-CENTURY WAR』のJames Stokoeによる#1から、Dave Wachterによる#5まで各巻ごとに担当するクリエイターも異なる。皆、前後関係とか気にせず好き放題に話を作っているので地球が吹っ飛んだり、ゴジラが邪神と対峙したりと内容もぶっ飛んでいる。
どの話もそれぞれ特色があって面白いのだけれど、強いて選ぶとしたらStokoeによる#1と、Wachterによる#5が1位タイ、少し遅れてBrandon SeifertやIbraham Moustafaによる#4だろうか。
Stokoeについては前述の『GODZILLA: HCW』の記事でも語ったのでここで敢えて同じようなことは言わないが、物語序盤でゴジラが地獄に落ちてきた直後、傍にあった”ABANDON ALL HOPE YE WHO ENTER HERE”と刻まれた石塔のようなものへ放射線流を吐きかける場面が個人的にはすごく気に入っている。
放射直前にゴジラの尾びれが”KRSH!”と音を立てながら燐光を放ち始めるその描写がものすごくカッコイイ。見ているだけでも音が伝わってくるようだし、中からこみ上げてくるように光りを放つ映像が鮮明に頭へ浮かび、否が応でも期待が高まる。言うまでもなく、実際にゴジラが自分の何倍もの大きさの石塔を木っ端微塵にするコマはStokoeの細かい書き込みもあって圧巻の一言。勿論、その他の内容に関してもあちこち創意工夫が見られ充実していた。
アンソロジーのトリを飾る#5もまた、僅か22ページの中に内容がぎっしり詰まった読み応えのある巻だ。この巻では1つ1つの描写よりむしろ地獄においてなお保たれるゴジラの不死身性というテーマ的な部分に興味を唆られた。この不死身性を突き詰めた先の結果としてラストの描写があるため、そこに唐突な感じはない。#1のStokoeが怪獣としてのゴジラを描いているとすれば、#5でWachterが描いているのは神(”カミ”)としてのゴジラといえよう。
映画のゴジラは様々なものを体現している。原爆、震災、あるいは地球そのものなど、ゴジラはその時代や舞台によって異なる顔を見せる。
しかしそのどれにも共通して当てはまるのは、人間との関わりを描いているという点だ。ゴジラと人間の関係性は確かにゴジラの根幹となる要素なのかもしれないが、そこにこだわり過ぎると逆に表現の幅を狭めかねないリスクが発生する。
本作は敢えてゴジラを人間と切り離すことで怪獣王をその鎖から開放した。
結果としてこの各22ページ前後の5話には、映画では見られないゴジラの一面を見ることができる。
まあ、ごちゃごちゃ考えずにまずは頭空っぽにしてゴジラが地獄を闊歩する様にうっとりするのが良いと思うよ!