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アメコミ雑記: スタン・リーとマーベル

 昨日はゴシップ記事みたいのを書いてしまったからその口直しというわけじゃないけれど、今日はもっとコミックと関連してスタン・リーのことをつらつらと書いてみたいと思う。

 正直に言おう。私はライターとしてのスタン・リーをそれほど高く評価してはいない。
 昨日の記事で彼のことを紹介する際、「1960年代にマーベルでファンタスティック・フォーを始めとした数多くのキャラクターを生み出すことに関与してきた人物」とやや婉曲的に記したのもそのためだ。彼を同キャラクター達の「生みの親」と称することにはどうしても抵抗がある。

 一般にファンタスティック・フォーなどを生み出した”ライター”として知られている彼だが、ちょっと歴史を調べればわかる通り、実は1つの1つのキャラクターに対する貢献度はそんなに高くない。

 彼が具体的に何をどの位手がけたのかは聞く人によって証言が食い違うためはっきりとは言えないが、少なくともコミック中で描かれるようなスタジオで四六時中アーティストらと額を突き合わせる形ではなかったことだけは確からしい。
 
 最も負担を強いられていた自分達を差し置いてスタン・リーばかり持て囃されるのはアーティスト陣にしてみれば堪ったものじゃなかっただろう。
 実際、過去のインタビューや歴史書などを読むと多くのアーティストがスタン・リーに対する生半可でない恨み節を口にしているし、中には彼から受けた仕打ちで完全にコミック業界から足を洗ってしまったような才能もある。

 そんな彼だ。今回の騒動に関して調べていても、ちらほらとコメント欄なんかで「カルマだ」という旨の発言が見受けられた。
 言いたいことがわからないでもない。
 彼は過去にそれ相応のことをやらかしている。



Marvel Comics: The Untold Story(マーベル社の歴史を辿った名著。スタンとアーティストらとの関係などにも言及している)


 ただ一方でそんな彼のやり方がマーベルを今の規模にまで成長させたことも、また疑いようがない真実だ。
 マーベル・ユニバースでは無数のキャラクターが複数の誌面にまたがって活躍する。同時並行で展開される物語の矛盾を見つけ、それを解消する役目を担ったのはスタン・リーだった。FFはネガティブ・ゾーンに出かけているから、スパイダーマンが助けを求めに来てもバクスター・ビルディングはもぬけの殻……そんな横の繋がりを読者に意識させたのは彼だ。
 そういった矛盾解消の負担を減らそうと『 CAPTAIN AMERICA 』の舞台を一時第2次世界大戦にしたことなども結果的にヒーロー達の住む世界に奥行きをもたらした。

 こうしたスタン・リーの貢献はぱっと見分かりにくいものの、彼と組んでいたアーティストが袂を分かった後なんかに露呈する。 DC へ移籍したジャック・カービィはそこで好きに物語を作る自由を得たものの、スタンの微調整なしでは彼の想像力は方向性を失い、物語の破綻を招いた。

 また彼がマーベルの”顔”として執り行ったタレント活動も忘れてはならない。
 もしマーベルにあって DC にないものが1つあるとすればそれはスタン・リーの存在だ。あれほどのカリスマ性を誇る”顔”は残念ながら DC にはいない。
 彼の並大抵でない宣伝効果なくして今のマーベルはありえまい。

 
 スタン・リーがファンタスティック・フォーやスパイダーマンの創生に”関与”したことは認める。だが私は彼をそれらキャラクターの「生みの親」とは思わない。そう呼ぶには彼の働きはあまりにも間接的で希薄だ。彼を「生みの親」としてカービィやディッコと横並びに語るのは彼らアーティスト達に対してあまりに無礼だ。

 しかし他方で彼は間違いなくマーベルの立役者だ。1冊1冊に対する関与は薄くとも、マーベル・ユニバース全体を統率する監督/プロデューサーとしての彼の精神的肉体的負担、そして貢献度は他のクリエイターと比較しても決して引けを取るものではない。

 それを思えば私は今回の騒動がたとえカルマだろうと何だろうと、一刻も早く解決してほしいと思わずにはいられない。