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書評: 「Slugfest: Inside the Epic 50-Year Battle Between Marvel and DC」 by Reed Tucker

 DCマーベルというスーパーヒーローコミック業界における2大出版社の対立、その歴史を記したノンフィクション。


Slugfest: Inside the Epic, 50-Year Battle Between Marvel and DC (English Edition)

 ショーン・ハウ著の『 MARVEL COMICS: THE UNTOLD STORY 』を読んだ後、 DC の変遷にも興味が湧いたものの DC のみについて記した書籍でめぼしいものが見当たらなかったので購入。
  DC の大まかな歴史が捉えられた他、『 THE UNTOLD STORY 』では見えてこなかったマーベルの一面も垣間見えたなどの収穫があったので結果オーライ。

 先に述べておくと私自身は特に DC 派だのマーベル派だのと主張するつもりはない。どちらの世界観についても良いところもあれば頂けないところもあるし、以前別の記事でも述べた通り「 DC の方が神話的でマーベルの方が現実的」という件のプロパガンダをはじめとして頻繁に提示される”両社の差異”はどちらの世界観も重箱の隅を突き尽くした今となってはナンセンスだと思っている。

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 ぶっちゃけ最近はスーパーヒーロー物自体から離れつつあるし。

 ただ一方でスーパーヒーローコミックという業界でこの2社(とそのファン達)が対立してきたことはある程度事実であり、そのことは本書でもいやというほど思い知らされた。

 
 半世紀以上に及ぶマーベルと DC のやり取りは終盤に記された以下の1文に集約されるだろう。

"Marvel is the eternal hipster, while DC remains the classy, conservative uncle, forever on a quest to make itself more youthful and relevant."
(著者意訳:マーベルが永遠のお調子者であるのに対し、DCは自らをずっと若々しく有意義な存在であろうと努力を続けている古風で保守的なオジサンである)
(Reed Tucker(2017), Slugfest: Inside the Epic 50-Year Battle Between Marvel and DC, Sphere)


 正直なところ、両社の対立は多くの人が想像するような「互いが互いを牽制し合う」ものではなく、「何かと突っかかってくる一方とそれを躱しきれないもう一方」といった印象だ。

 1950年代前半に訪れたスーパーヒーロー衰退期に廃業寸前まで追い込まれたマーベルは人材も道具も皆無などん底から這い上がらざるを得なかった。しかし災い転じて福となすとでも言おうか、それにより自由な作風が許される作業環境を経たクリエイター達は『 FANTASTIC FOUR 』を皮切りにヒット作を連発するようになり、その風土はつい最近まで受け継がれてきた。

 対する DC はといえば、スーパーマンバットマンの人気によりこの暗黒時代を良くも悪くも乗り切れてしまったが故に、創業当初からの事務的で検閲の多いトップダウンの体制から脱することが出来ないままシルバーエイジを迎え、後々自分の首を締めることになる。


 その結果だろうか。
 本書ではこの時期の両社の作風の違いを、片や若い読者目線で作品を手がける前者と、片や子供を見下す大人の目線で作品を手がける後者の差だと分析している(最近、日本でも”子供向け”作品と”子供だまし”作品の違いについて語るツイートを見かけたがそれと似たものかと)。


Dc/Marvel Crossover Classics: The Marvel/Dc Collection

 
 以降マーベルにみるみる差を縮められ、終いには売上で追い抜かれてしまった DC は何とかして業界における存在感を維持すべく試行錯誤するようになる。
 だが、残念なことに彼らは自らが本当に戦うべき敵の正体 - ”上から目線の自分達”- に長らく気づけなかったばかりに迷走するように。

 マーベルの人気の理由が「カバーに赤を多用しているから」と見当外れな結論を出して、やたらと赤を使いまくったカバーが量産されたという逸話も有名だ。

 ただそうは言っても DC からマーベルに対するアプローチは互いに競合する相手方の動向を窺い、場合によっては良いと思う点を取り入れるなどライバル企業として然るべきものだ(少なくとも企業レベルでは。個人レベルの敵対心はまた別の話)。


 他方、マーベルはと言えばスタン・リーの頃から現在に至るまで一貫して DC への対立姿勢をむき出しにする。何かとインタビューなどで引き合いに出しては貶めたり、意地悪な価格調整を行うなど、時としてその挑発は目に余るものがある。
 
 しかし結果的にこの策は功を奏し、ライバルに対するネガティブ・キャンペーンを行うことで意図的に対立構造を生み出すことでマーベルは読者を囲い込むことに成功し、成り上がっていく。
 
 無論、こんなやり方がいつまでも上手くいく筈もなく、90年代にマーベルが一度破産したのもこういった敵対心に歯止めが効かなくなったことが遠因の1つとして挙げられるかもしれない。

  
 言い方は悪いが、本書を読む限りこの2社の”対立”とは、マーベルという構ってちゃんに何かと足をすくわれる DC といったところのように思えた。


 
DC/Marvel: Crossover Classics II

 しかし、そういった状況も近年では急速に変わりつつある。
 映像化を始めとしたメディアミックスによりそれまで子供や一部のオタク向けという扱いだったコミックが世間に広く浸透したためだ。

 市場規模の拡大に伴い、マーベル DC はそれぞれディズニーワーナーという大企業の傘下に収まり、経営方針に関して細かな指示を受けるようになった。

 それまで単なる子供同士の”喧嘩”だったものがある日を境に”試合”に変わり、各出版社はそれぞれの”監督(=親企業)”から指示を受けて動く”チーム”になったとでもいったところか。
 やもすると聞こえは良いかもしれないが、要するに決められたフィールド内で何かと行動をコントロールされるという意味だ。各人の自由度こそが物を言うこのクリエイティブな業界では致命的とさえ言える。

 輪をかけて良くないのが、これらの”試合”において”選手”として扱われるのはもっぱらバットマンやスパイダーマンといったキャラクターであり、物語を世に送り出すクリエイターではないという点だ。
 本来であればクリエイターこそが”選手”であり、キャラクターは彼らの”パフォーマンス”であるべきだろう。だが、現状の彼らは基本的に裏方であり、交代可能な要員として扱われることも少なくない。
 
 コミック業界は長い年月をかけてクリエイターの重要性を理解するに至った筈なのに、他メディアへ進出したことが仇となってかふりだしに戻ってしまった形だ。


 その点については、編集者が各作品の制作に大きく関与するような体制が出来上がった今となっては、今後大きな失敗が起こることもない代わり、業界全体を揺るがすような嬉しい暴走が生まれる可能性もほぼ失われてしまったという認識で本書も『 UNTOLD STORY 』も共通していたのが印象的だった。


DC/Marvel: Crossover Classics 4

 
 悲しいことだが、最早スーパーマンやスパイダーマンを”物語の登場人物”という意味でのキャラクターとして認識する時代は限界に来ている。

 今の彼らはページの中から引っこ抜かれてグッズや映像に貼り付けられる”フランチャイズの一部”としてのキャラクターなのであり、日毎に価格が上下する株やちょくちょく仕様が変更されるSNSなどと変わらない存在になりつつある。

 そこにクリエイターやファンの意思が介入する余地は少ない。映像の話だが、現在も世間を賑わせているジェームズ・ガン監督の解任騒動はその氷山の一角といえる。


 逆説的な話だが、ヒーロー達を再び物語の中へ取り戻すために読者は一度彼らと袂を分かつべきなのかもしれない。

 だがファンが「マーベル VS. DC」という狭い視野での対立軸にとらわれている限り、それは至難の業だ。


 そういう意味で、本書は今後必要とされる広い視野を獲得する手助けとなるだろう。
 
 業界の歴史を見つめ直し、スーパーヒーローの現状を再認識するのにおすすめの1冊である。


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