Hand of Fire: The Comics Art of Jack Kirby (Great Comics Artists Series)
数多くのスーパーヒーローの生みの親として知られるジャック・カービィについて、特に彼がマーベルや DC で活躍した60年代から70年代にかけてを中心に論じた伝記/作品論。
他に類を見ない想像力でファンタスティック・フォーからニュー・ゴッズまで様々なキャラクターを生み出したカービィが、最終的にその世界観に殺されてしまう変遷を辿るのはあまりに悲しい。
2つの強みで業界に革命を起こす
昨今は日本でも出版、特にマンガ業界に編集者がいるいらないとの議論が巻き起こっているが、クリエイターの中には編集の力で初めてその才能が活きる者もいることは事実だ。編集がしっかりと手綱を握っている間はヒット作を連発するのに、人気作家となって物語を好きに作れる自由を手に入れた途端に作品が面白くなくなってしまうという例はゴマンとある。
カービィもそんな者の1人であった。
60年代前半のジャック・カービィには2つの強みがあった。
1つは無類の SF 好き、とりわけ神話に傾倒していたことからくる壮大で底なしの想像力。そしてもう1つはラブロマンス系クリエイターとして培った人間ドラマだ。後者に関しては意外かもしれないが、マーベルに来る前の彼は YOUNG ROMANCE 誌などで一世を風靡した恋愛系作家だったのだ。
彼はこれらの武器を活かしてファンタスティック・フォーを始めとしたキャラクターを生み出し、業界に革命を起こした。再誕したマーベル・ユニバースにシルバーサーファー、ネガティブ・ゾーン、アズガルドの神々といった誰も見たことのない要素を次々と放り込み、他方でヒーロー達にメロドラマを演じさせたのである。
自由という呪い
ところで60年代に生まれたファンタスティック・フォーに始まり、ハルクやアイアンマン、スパイダーマンといったヒーロー達に関して、一般にその生みの親として知られているのはスタン・リーだが、ちょっとアメコミに詳しい者であれば実は彼がそれほどライターとしては働いてなく、むしろ編集に近いポジションであったという話は聞いたことがあるだろう(ただしリーがどれくらい物語に関与していたかには諸説ある)。
シルバー・エイジのマーベル作品においてはリーと同程度、あるいはそれ以上にカービィやスティーブ・ディッコといったアーティストがストーリーにも関与しているのだ。
しかしカービィが繰り出す数々のアイデアはリーとの共同作業があったからこそ活きたという見方もできる。
神話好きなことから大風呂敷を広げることを好んだカービィの紡ぐストーリーは時に整合性を失い、物語を破綻させた。最終的に彼はリーを始めとした編集からの関与に耐えきれなくなって一度マーベルを離れることになるが、他方でそういった編集作業こそがカービィのコミックを当時の読者の鑑賞に耐えうる形へ引き締めていたとも考えられるのである。
果たして DC で作品づくりに関してあらゆる自由を与えられた彼は鳴り物入りで『フォース・ワールド』サーガを世に送り出すが、そのあまりに読者置いてけぼりな展開に売上は落ち込み、わずか数年で打ち切りの憂き目を見ることになった。
再びマーベルに戻ってきた際に作った『エターナルズ』についてもその壮大な物語をマーベル・ユニバースに組み込むか否かは物議を呼び、物語自体も急速に勢いを失って未完のまま打ち切られた。彼はその後もキャプテン・アメリカやブラック・パンサーを手がけるものの、今度はあまりにそれまでの展開を無視した作風が読者からは不評だったという。
この頃になると、カービィはしばし離れていた間にも成長し続けたマーベル・ユニバースに最早自分の居場所を見出せなくなっていた。最終的に彼はかつて自ら生み出した世界観に想像力を押し潰されたまま、79年には再びマーベルを後にすることになる。
カービィの遺産
彼がマーベルやDCに残した数々のアイデアはその後それぞれの世界観に組み込まれ、最近では再評価も進んでいるが、かつて彼が目指していた規模の物語を再現できている作品は未だ存在しないというのが本書の作者である Charles Hatfield の考えだ。
本書はカービィの様々な代表作を例に取り、それを時に全体像から紐解き、また時には1コマ1コマ解析しながら、彼の悲劇を辿る。
1人のクリエイター論を軸に業界全体の問題点、あるいは創作そのものの難しさをあぶり出すこの本からは多くのことを学ぶことができる。