こんな真実のために犠牲を払うことが正義なのか — 。
原書合本版(Amazon): Sheriff of Babylon Vol. 2: Pow. Pow. Pow.
2003年、イラク。バグダッドのグリーンゾーン内で自らが教官を務める警官候補養成所の生徒が殺害された事件を捜査する米国人 Christopher Henry 。知己であり現地の政界と強いコネを持つ Sofia 、それに前政権下で警察官だった Nassir から協力を得た彼はやがて Abu Rahim というテロリストに辿り着く。だが直後、 NCIS の不用意な介入により Nassir の妻 Fatima が死亡し、 Sofia もまた Abu Rahim の配下に狙われた結果、身ごもっていた胎児を流産するなど3人は数多くの犠牲を強いられる。やがて彼らは遂に Abu Rahim 本人と相まみえることとなるが……。
本人も元 CIA として働いていた経験もあるライター Tom King と、アーティストの Mitch Gerads による戦争ノワール。完結編でもある2巻目の本巻は1巻目以上の衝撃作で心に突き刺さる内容だった。
テクニカルな面でいうと、Vol.1の記事でも言及した King のコマ割りによる独特のテンポ感や Gerads のすっと抜けるようなアクションは相変わらず魅力的だ。余談だが、今度DCで刊行するMister Miracleの新作もこのコンビだという話なので今から楽しみでならない。
本作に正義はない。もう1歩進んだ言い方をするなら、本作は偽善で成り立っているともいえる。
正義という言葉ほど曖昧で人を惑わすものもないだろう。この人間にしかない概念は空虚な癖に時として人を単純な生理的欲求や論理構築では決して辿り着けない高みにまで押し上げることもある。問題はそれをいいことに自分でも信じていない大義名分を振りかざして好き放題やる輩が世の中にはゴマンといることだ。
そして、本作に登場する人間はそんな偽善者ばかりである。 NCIS の連中や Abu Rahim のような過激派テロリストはもちろんのこと、主人公である Christopher と彼に協力する他の2人でさえ、彼らが主役であるという物語のレンズを介せずしては先に挙げた連中と大差ない、責められて然るべき行為に手を染めている。このことは例えば物語のラストを見ても明らかだ。
正義なんてものは存在しない。あるのは偽善と、それを中心に据えた物語だけだ。
故にどれだけ腐敗した社会であってもその秩序の解体を断固として許さず、旧態依然とした状態に留めようとするスーパーヒーローという存在も、世界を征服して自分の思うまま作り変えようとする存在と究極的には大差ない。一部の人が正義の味方に見出すきな臭さはこのあたりからきていると思われる。
結局、自分を中心に物語を作り上げた偽善者が勝利する世界なのだ。
今、世界をぐるりと見回して、脇役に徹している場合じゃないと焦りを感じてしまう私だけだろうか。