命の天秤というまやかし。
分冊キンドル版(Amazon): Runaways (2005-2008) #22
チームに帰ってきたものの、恋人の Gert を失って以来、すっかり人が変わってしまった Chase 。18歳の誕生日を迎えて”大人”になった彼をメンバーから外すべきではないかという意見も出る中、本人は「 Gert を蘇らせたければ罪なき命を1つ捧げよ」という古の神々 Gibborim の言葉に従い、対価を支払う準備を進める。やがてある晩、彼は Nico を縛り上げると彼女こそ自分の知る最も罪なき人物だと告げる……。
ライター、 Brian K. Vaughan によるスマッシュ・ヒットランの終着点。一緒にゴール・インするアーティストは勿論、共にシリーズを始めた Adrian Alphona 。 Alphona のアートは改めて#1の時と比べるとその力量が飛躍的に向上しているのがよくわかる。序盤の戦闘シーンに登場する のような、 Marvel のリアルな世界観では何気に難易度が高い常識外れでコミカルなデザインのヴィランをさり気なく描いてしまっている。
さて、そんな彼らの最終回は前回に引き続き 『PARENTAL GUIDANCE』 編で命を落とした Gert の死を受けたエピローグ的内容。他のメンバーが既にある程度折り合いを付けた一方、1人だけ前に進むことのできない Chase の暴走というか悪あがきにチームが巻き込まれる(こういう書き方をすると彼がとんでもない木偶の坊だと勘違いされてしまいそうなので、実際は決してそうでないことを念のためここに記しておく。読めばわかる)。
死んだ者を生き返らせたくば、代わりに汚れなき生者の命を捧げろ。 — シリーズの裏ボスとも言うべき Gibborim の提示した条件であるこれは俗に”等価交換”というやつだ。
でも実のところ生と死って等価でもなければ交換できるものでもない。
何故なら私達は死に関して余りに無知だからだ。
「知り合いが死んだ。」
「空腹で死にそうだ。」
「死ねば楽になれる。」
人が”死”という言葉を口にする時、その言葉が指すのは”生の喪失”であり”死”そのものではない。生者の語る”死”とはあくまで自分の前を通過した元・”生”であって、そこに抱く悲しみや寂しさといった感情はもう感じられなくなった五感情報の欠落を嘆いているに過ぎない。
言ってみれば、生ける者にとって”死”なんて概念は存在しないと言っても良い。
そんな”生”と”死”とで価値が等しいわけもなければ、まして交換できる筈もなく。
それでも今回の話に出てくるような”等価交換”が成り立ってしまうのは、フィクションにおいてこの行為に及ぶことが登場人物の意志の強さを表現する的確なツールであるから。
Vaughanは実のところこういった感情を引き立たせるツールを使うのが非常に上手い。
今回の話にしても、彼はまず Chase に他者の命を捧げさせるように見せかけることで彼の固い意志を示すと共に、物語に緊張感を張り巡らせた。そしてここから「実は自らの命を捧げようとしていた」ともう1つ手札を切ることで Chase はやっぱり善人であるということを読者に強く印象づけることに成功している。多分、今後新シリーズで彼にモラルを逸脱させるようなことになれば多くのファンのお怒りを買うことになるだろう。
Chase Stein はそういう意味で、キャラクタライゼーションの大きな成功例と呼べる。
さて、生みの親である Vaughan と Alphona もシリーズを離れるわけだし、本連載でこのティーンエイジャー・チームについて語るのもこれにて1区切りとしても良いのだけれど。今回総括的な語りもできなかったし、次に Vaughan を引き継ぐライターは今や誰もが知る Joss Whedon (彼の黒歴史)なので、なんだったらもう1話だけやってみようかと思います。
分冊キンドル版(Amazon): Runaways (2005-2008) #23