物語はさらに捻れていく……。
Nicola Tesla の研究をもとに開発した装置で時空を飛び越え並行世界を移動する Robert Johnson a.k.a RASL 。かつて米軍の研究所に所属する科学者だった彼は、古巣から差し向けられた追手に失われた Tesla の日誌を差し出すよう要求されるが、研究が悪用されることを恐れそれを拒む。追跡を振り切るべくさらなう逃亡の準備を進めるそんな彼の前に再び現れる不思議な少女 — 彼女から死んだ筈の元恋人 Maya に関する警告を受けた彼が逃亡用の車に戻ると、そこには第3の装置を身に着けた何者かの姿があった。
苦手な人は大変苦手。好物な人は大好物。その辺りが大変はっきりするのが本章かと。あるいは前章で過去の手札をあらかたひっくり返してみせたのはこの展開が待ち受けていたためか。
並行世界を扱う作品が往々にして陥りやすいのが世界の数を増やしすぎるエグい展開。そりゃクリエイターにしてみれば、愛し我が子のようなキャラにあんな体験こんな体験をさせてやれるし、相容れない”あっち”の線と”こっち”の線を触れ合わせないまま放ったらかしにしておけるのは作りやすいだろう。
しかし、それが実は直線的なストーリーテリングとは大変相性の悪い物語要素で、読者からかなり能動的な読み方を求める作り方だということについて自覚していない作り手が大変多い(アメコミを読む人なら X-MEN の家系図とか考えていただければわかるかと)(日本のエロゲ・ギャルゲなんかは一見そのあたりを分岐的ストーリーテリングで回避したようにも見えるものの、まあぶっちゃけ大半は責任放棄か思考停止でしかない。私の知ってる限りでそのあたりもしっかり考えていたのは『腐り姫』くらいか)。
で、 RASL はその”並行世界”というツールの難点に今回の章で堂々と立ち向かったわけでして。 Bob Dylan の不在であるとか Annie の生死、あるいは Uma の存在など色々と標識をおっ立てて世界観を区別しようとしている努力は十分認める一方で、場所自体は基本的にアメリカン荒野なので色合いというかトーンがどれも似通っており、やっぱり混同を招きやすいと言わざるを得ない。
加えて今回は装置の使用による時空間の歪みが描かれることもあり、その異常性を表現するところで物語がかなり魔術的リアリズムの方向へシフトすることもあり、ここを受け入れられるかどうかで個人的な評価がはっきりと分かれるかと思われる。村上春樹の『1Q84』とか駄目な人はちょっときついかも。
ただ、これがあるからと言って物語が劣っているというわけではなく。単純に読み方が通常の物語と違うというだけ。漫画ばかり読んできた小学生がいきなり国語の教科書に載っている文章を読んだところでエンジョイできないと同じで、こればっかりは似たようなテーマを扱った作品などで場数を踏んで鍛えるしかない。
練習だと思って本作に挑戦してみるのもありかもです。