VISUAL BULLETS

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BATMAN: TIME AND THE BATMAN (DC, 2010)

 表題作の1つの楽しみ方としてはまず色んな1流アーティストによる色んなBatmanを楽しみながら(私としては『BATMAN BEYOND』のTerry McGinnisが出てきた時点で鼻血が止まりません)あらすじをざっくりと掴み、その後じっくりと読み返しながら内容を噛み砕いていくのがよろしいかと。
 あるいは1つ1つの時代における事件はかなり緩めに繋がっているから最初は各々を独立した事件としてアンソロジー感覚で楽しむとか。


原書合本版(Amazon): Batman: Time and the Batman (Batman by Grant Morrison series)

 Bruce Wayne a.k.a Batman、 Dick Grayson a.k.a Batman、 Damian Wayne a.k.a Batman — 装着した者へ過去・現在・未来のあらゆる可能性を見せることができるMaybe Machineと、それを発明したCarter Nichols博士を巡り3人のBatmanが時を超えた犯罪に立ち向かう。

 Dick含めた3人のBatmanが活躍する表題作がメインな一方で、『BATMAN: R.I.P.』事件と『FINAL CRISIS』事件との間に起こったことに関する話もあったりするトリッキーな内容のためどこに差し入れるか若干迷った合本。Fabian NiciezaのライティングによるGothamの名物ジャーナリストVicki Valeを描いた1話完結(?)も収録。こういうジャーナリストがヒーローの正体を暴こうとする話は失敗するのが目に見えているし、そもそもパパラッチ感が半端ないので個人的にはあまり得意ではないのですが。

 何気にタイム・トラベル物とか時間に絡んだ話が多いGrant Morrisonですが、彼がこの手の作品を手がける時は得てして内容が複雑になる傾向があり非常に賛否のわかれるところ。本巻の表題作もその例外ではなく、『NAMELESS』とか『INVISIBLES』などのように「1度読んだだけだと何が起こっているのかさっぱり」という読者が大量に出る予感がします。
 そういうのが苦手な方には『BATMAN: R.I.P.』事件と『FINAL CRISIS』事件との間に起こった出来事を描く『R.I.P. — THE MISSING CHAPTER』の方がむしろ読みやすいかも(尤も『FINAL CRISIS』自体は中々噛み砕き難い作品だけど(あれ、もしかして『FINAL CRISIS』もMorrisonサーガに含まれる?))。

 読む度に印象が変わるというのはMorrison作品、とりわけこういった時間だとか空間だとか量子力学的な分野を扱う作品の大きな特徴として挙げられる。

 あくまで個人的な仮説なものの、これはMorrisonの扱う”時間”は一般的なクリエイターの扱う”時間”と性質が異なることに端を発していると思われる。 — つまり、彼の扱う”時間”には主観という要素が多分に含まれるということだ。
 世に多くあるタイム・トラベル物は、例えば「主人公が何かやらかす」→「幼馴染が死亡」といったような「こうする」→「こうなる」という因果関係に支配されている。ここで用いられる”時間”とは客観的な時間であり、ニュートン力学的な時間だ。
 一方、Morrisonが扱う”時間”には上記の「こうする」→「こうなる」の関係性に「こう見る」という観測者の視点が加わる。観測するかしないか、そしてどのように観測するかで事象が変化する”時間”とは主観的、量子力学的な時間のことだ。
 本巻の表題作でMaybe Machineが見せる過去・現在・未来にしても決して確定したものではなく、あくまで「可能性」としてのそれに過ぎない。
 しかし作中の登場人物は勿論のこと、コミックとしてこれを読んでいる我々読者にさえ本作で描かれる様々なBatmanのうち、どれが現実でどれが可能性か見分けることはできない。Dick GraysonのBatmanは本当に起こったことで、Damian WayneのBatmanはあり得ないと言い切る指標は少なくとも本作中にはどこにもないのだ。
 だが、逆を返せばそれはつまり読者自身の定義が指標になるということでもある。『BATMAN AND ROBIN』なんかを読んできた読者にとってDickのBatmanは現実だろうし、読んでない者にとっては他の可能性とさして変わらない。

 Morrisonが作品の中で時間を飛び越える時 — それは同時にページの中の世界が次元を飛び越えて我々の世界へやってくる時でもある。
 こうした「体験するメタ」の要素が彼の時間物を複雑にすると同時、面白くするのではないだろうか。