多くは中東で”何か”が起こっていることは知っていても、その”何か”が一体どういうものかは知らない。
私もそんな1人だった。故に本作を読んでいて複雑な印象を受けることがあったのは否めない。
しかし、それは決してクリエイターの落ち度を意味しない。
むしろ、自分が中東という場所に対する知識をほとんど備えていないというだけだということに気付かされた。
原書合本版(Amazon): Sheriff of Babylon Vol. 1: Bang. Bang. Bang.
2003年、イラク。元警官で現在はグリーン・ゾーン(米軍の駐留するバグダッド中心部)において現地の新しい警察官を教育する任を担う Christopher Henry はある日、教えていた生徒の1人が遺体となって発見されたとの連絡を受ける。彼は両政府のパイプを務める Sofia や、かつての政権下で警官だった Nassir と共に捜査へ乗り出す。
Marvel の『VISION』や DC の『BATMAN』などで現在躍進中のライター Tom King はかつて CIA で働いていた経験があり、その中東情勢に対する造詣の深さは本作にも色濃く現れている。米軍関係者とイラク現地の者達との間におけるコミュニケーションのもどかしい具合や、文化や宗教に由来するさりげない言動が巧みに描かれている。私個人は中東の地を踏んだことがないものの、本作を読んでいるとその熱く乾いた風の匂いを感じられるような気がした。
現実的な物語であるためアクションの量は必ずしも多いとは言えないが、パネルの使い分けによって物語のテンポを変化させるなどの工夫でメリハリが出ており、また会話シーンでも思わずにやりとさせられるユーモアがふんだんに散りばめられており全く飽きさせぬ魅力に満ちている。
とりわけ主人公 Christopher と現地の協力者 Nassir の妻である Fatima との会話のみで進行する#5は、9.11に影響を受けた米国人男性と、かつてのイラク戦争や Hussein 政権下を生き抜いたイラク人女性との交流をとても丁寧に描いており注目に値する。
勿論こうした本作の魅力がライティングのみならずアートによるところも大きいのは言うまでもない。
アーティストの Mitch Gerads は実に良い中年を描きますな。物語の序盤で Christopher がサンドイッチを食べるシーンなどは、そのパンを両手で持って咀嚼する様が実にワイルド。他にも本作では Nassir をはじめとして様々な中年が出てくるが、タフなあんちゃんから中年太りしたオッサンまでバラエティに富んでおりどれも魅力的。
それとこの人、すっと腕を上げるような軽い動作に漫画でいうところの動作線をちょいちょい入れてくるのだけれど、これがアクションに小気味良さを与えている。ガン・アクションのような激しいアクションも良いけれど、こういう何気ないシーンが上手に描けるアーティストというのもかなり貴重。
法と秩序。それはどの国家も求めてやまないものだ。
国家が家だとすれば、法はその骨組みであり、秩序とは内部の部屋割りといえる。
我々日本人はとても住み心地の良い家に住んでいるのだろう。
しかし、だからと言って近所の音が耳に入らないわけじゃない。
BANG. BANG. BANG.
我々はこの音を聞いた時、一体何をすべきなのだろう。
耳元で聞こえるまで何もしないような人間にだけはなりたくない。