息の詰まりそうな片田舎でオッサンどもが殴り合う。
かつて保安官だった父親に対する反発から出ていった故郷へ40年ぶりに帰ってきた男、Earl Tubb — 売りに出す自分の生家を片付けたら早々に立ち去るつもりだった彼はしかし、高校のアメフトチームRunning RebsとそのコーチBossによる恐怖政治で支配された町の変わりように愕然とする。Earlはかつて父親の愛用していたバットを手に物事を正そうと立ち上がるが……。
あらすじだけ読むと「なんのこっちゃ。ギャグかいな」と思うかもしれないが、とんでもない。彼の国のアメフトに対する熱狂ぶりと、南部の気質をベースにした大が付くほど真面目なコミックである(笑えるところが少しもないというわけではないが)。
これまでの記事を読んでいる方なら私が(ネオ)ノワールというジャンルに弱いことは既に見当が付いているだろうが、本作は謂わば南部ノワールだ。
身に着けるのはスーツでなくTシャツ。立ち寄るのはバーでなくダイナー。片手にはバーボンではなくリブチョップ。腹はせり出し、尻は弛み、誰も彼も鼻を絞ったようなしかめっ面。Coen Brothersの映画やCormac McCarthyの小説、あるいは東映の任侠物なんかが好きな人はハマることほぼ間違いなし。
一般にノワールといえばその舞台は大概ニューヨークやカリフォルニアなどといった摩天楼のそびえ立つ大都会だが、本シリーズでは高校のアメフトチームだけがウリのど田舎。マフィアのような洗練された悪漢はいない。どいつもこいつもチンピラに毛が生えた野良犬のような輩ばかりだ。下品で、獰猛で、何をしでかすか分からない。
Jason Latourによるアートがまた良い。太い筆遣いによるゴツゴツとした輪郭、描き込み過ぎない背景、人々の顔に浮かぶ積年の感情を刻み込んだしわ。ごん太の腕でバットを振り回すEarl、その苦虫を噛み潰したような表情。それに作品全体の基調となるどす黒い赤。そういった全てが作品全体に漂うドライな閉塞感や、行き場のない感情を表現している。
そう、この作品に満ちているのは怒りだ。誰に対して、何に対して向いているのかも分からないひたすらな怒りこそがこの作品の原動力である。物語において”謎”が登場人物を引っ張るものなら、この”怒り”は登場人物を背後から衝き動かすものといえよう。それは無粋で、荒々しく、少しでも気を緩めれば容易く足元をすくわれかねない危うさに満ちたエンジンだ。
だが、逆を返せばこれほど馬力のある代物もあるまい。
充満した怒りはVol.1のラスト、アメフトコーチで町の支配者でもあるCoach BossとEarlが対峙する場面で噴出する。ここで露わとなるそれは一度出してしまうと二度と元の鞘に収めることのできない類の感情だ。
ブチ切れた2人がはらわたの煮えくり返るような憤怒を互いに向けて狂犬のように争う姿は激しく、無様で、哀しい。
そこに何故か美しさをも見出してしまう読者もまた、己の中にふつふつと沸き立つ怒りを抱えているのかもしれない。