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『DEMO』(DC/Vertigo)

 手に入れたいのは「呪われた力」、言ってみたいのは「普通になりたい」 — テレパシー、テレポーテーション、飛行、再生、そんな諸々の無効化・コピーに俺TUEEE と、 特殊能力の獲得は誰もが一度は夢見るものだろう。
 私も空飛んだり車片手で持ち上げたりしてみたいもんです。


原書(Kindle版もあり): Demo

 さてさて、本日語るコミックはBrian WoodとBecky Cloonanの『DEMO』である。元々は2003〜04年にオリジナルがAiT/Planet Larから、2010年にDC/Vertigoからその続編が発表されたのだが、前者の版権がVertigoに移って今はVol.1、Vol.2という扱いになっている(順番が多少違うかも)。Vol.1では試行錯誤の跡が見られるCloonanの絵柄がVol.2では安定しているのはそのためか。

 ライターのBrian Woodはこれを手がける前にMarvelの『GENERATION X』などで若き異能者達へスポットライトを当てた話に携わっており、本作のインスピレーションもそこで得たとか。故に一話完結の連作形式となっている本作は、Vol.1の始め2/3こそ何らかの異能力を備えた若者がその能力に戸惑ったりする様が描かれている。しかし、何をどうしたのか残りの1/3は特殊能力がほぼ皆無な少々 — というかかなり — 趣の異なるものとなっており別のアンソロジーみたいになっている。当初は希薄だった登場人物の心理描写が回を重ねるにつれ徐々に複雑化していくところから見て、そこをもっと掘り下げていきたくなったのかもしれない。
 Vol.2になると着地点を見出したらしく、双方の傾向を折衷した良質なローファンタジーで終始一貫している。ただ一方でVol.2はカニバリズムに関する話などもあり、内容的な部分で好き嫌いが分かれそうなものが多い。読みやすさで言えばVol.1の方が上かと思われる。

 アートを担当しているBecky Cloonanは本作などが高く評価されたのを機に知名度を上げ、今や女性アーティストとして初めて『BATMAN』のアートを担当した人物として知られる他、ライターとしてもDCの『GOTHAM ACADEMY』やMarvelの『PUNISHER』などを担当して順調にキャリアを築き上げている。
 上でも述べた通りVol.1におけるCloonanの絵柄にはかなりばらつきがあり、漫画っぽい絵柄で描かれた作品(彼女はインタビューなどで高橋留美子などの漫画家からの影響を口にしている)から、太めの線を基調としたカートゥーン調の作品まで様々だ。最終的にその間を取ったような現在の絵柄に落ち着いたようでVol.2もこれで通している。
 ライティングの方と同様、アートの方も見やすさでいうと確かにVol.2の方がすっきりとしていてレベルの高さが窺えるものの、角の立っているVol.1の方にも現在のCloonanによるアートでは見られない良さがある。

 個人的に好みなのは言ったことが全て真実になる少女のVol.1の#2や、ハリネズミのジレンマを体現したような男女の関係性を描いたVol.2の#6などだが、最もずっしりきたのは幼い頃にずっと仲間であることを誓い合った3人組の別離を描いたVol.1の#11だ。3人のうち最も大人であるJillが作家になりたいことを口にする中で、好きなことをやりつつそれを次の段階へ進めることの重要性を説く部分がぐさりとくる。

 特殊能力とは文字通り「特殊な能力」=「大半の他者は備えていない力」のことである。
 力が自らの可能性を閉ざすならそれは呪いだ。
 逆に新しい可能性を開くならそれは恵みといえよう。
 結局、我々が手に入れたいのは力ではなく、その先にある「何か」なのだ。


原書: Demo Volume 2