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SQUADRON SUPREME (MARVEL, 1985 - )


Squadron Supreme

”超人”の抱える矛盾を初めて世に提示した歴史的作品。

あらすじ

 我々のよく知るマーベル・ユニバースとは異なる世界” Earth-712 ”で活躍していたスーパーヒーローチーム Squadron Supreme 。だがある時メンバーの大半がヴィランに洗脳されてしまったことから彼らは悪の手先に。洗脳を免れた Hyperion はマーベル・ユニバースに渡り並行世界のヒーロー達から力を借りることで、ヒーロー達を正気に戻すことに成功した。
 だが時既に遅し。
 洗脳された者達にかき回された世界は混沌に陥り、ヒーローに対する人々の信頼は地に堕ちていた。
 事態を重く受け止めた Hyperion は信用を取り戻すべく大胆な行動に出ることを決意。チームに復興を通してユートピア的社会を築くことを提案し、ほぼ全員の賛同を得る。
  Squadron は1年という期限を設けて社会から貧困や犯罪といった問題を取り除くべく新たな活動を始める。 
 しかしメンバーの中で唯一ユートピアの建造に反対してチームを脱退した Nighthawk は、その後密かに Squadron の活動を阻止すべく仲間を募り始める。

超人の抱える矛盾

 元々は『 AVENGERS 』に DC の Justice League を登場させて Marvel のヒーロー達と戦わせようぜというえげつない発想から登場したパロディチーム Squadron Supreme 。その後何度か THOR や DEFENDERS などにゲスト出演した後、85年に刊行された本作で初めてスポットライトを浴びる運びとなった。
 『 WATCHMEN 』や『 KINGDOM COME 』といった作品と比べれば知名度こそ若干劣るものの、それらに先駆けていち早く「スーパーヒーローの存在意義」を現実的な観点から問いかけた作品としてファンの間では知られている。

 シリーズ全てのライティングを担当した Mike Gruenwald は同人誌上がりのライターで、本作の他にマーベル初のリミテッド・シリーズ(通常の月刊誌とは異なるイベント連載誌)『 MARVEL SUPER HEROES CONTEST OF CHAMPIONS 』や『 CAPTAIN AMERICA 』の連載で知られている。
 とりわけ本作に対する思い入れは深かったようで、96年に心不全で亡くなった後にはその遺言に従い、本作に使うインクにその遺灰が混ぜられたという逸話が残っている。


 スーパーヒーローとは何なのか。彼らは一体何がしたいのか。世界をどうしたいのか。
 これは1938年に Superman が世に送り出されてから幾度となく尋ねられ、答えられてきた問いだ。
 ある者はスーパーヒーローとは神であり、その福音も罰も人智の及ばぬものなのだと答えた。
 別の者は彼らをあくまでコミック内の存在とし、その作用もページの外の我々に向けたものと定義する。
 最も一般的なのは、彼らを単に「科学や文明の延長」と捉える見方だろう。おそらく Mark Gruenwald もここを着眼点としたものと思われる。
 しかし例えば Mark Millar などが彼らを兵器のアナロジーと見做し作中で積極的に軍事利用したのに対し、本作の Gruenwald はもっと温和で友好的なアプローチをした。

  Squadron はユートピア計画を推し進める上で他国に喧嘩をふっかけるような真似はしない(というか洗脳されている間にそういった勢力はほぼ一掃して世界征服を果たしているためその必要がそもそもないのだが)。
 これまで通り犯罪を阻止するために拳を振るうことはあるが、どちらかといえば災害救助やシェルターの建造などといったボランティア活動が中心となり、一般的なスーパーヒーロー・アクションというのは時を経るにつれて減少していく。

 ユートピア自体についても他者の自由を脅かす銃などの武器は有無を言わせず取り上げるものの、それ以外については自由意志に最大限配慮し、期限の1年が終了する時には何の躊躇いもなく政治の主導権を人類に戻す。
 一見すると良いことずくめで、むしろ彼らの成果を台無しにしようとする Nighthawk にこそ非があるように見えてしまう。

 しかし物語の終盤、 Nighthawk は自らの考えを Hyperion に説く。

「確かに君達の作り上げたユートピアには非の打ち所がない。しかしこれは Squadron の存在無くしては機能し得ない世界だ。 Squadron がいるうちは良いが、その後の人類には手に余るものだ。そんなものがあってはならない。」

  Gruenwald にとってのスーパーヒーローとはあくまでイレギュラーな存在であり、本来社会に存在すべきではないもの。喩えるなら、犯罪や戦争といった病魔に侵された社会というボディの回復を促すための劇薬なのである。

 ヒーロー達が非常時のセーフティネットとしてのみ活動している間は良い。しかし、本作の Squadron みたくユートピアを作り出して社会を変革してしまうとなれば話は別だ。
 どれほど善意に基づく行為であっても結局のところそれは治療の域を超えたドーピングであり、本来存在しないはずの異物に対する依存を生み出す行為だ。
 
 医療行為に不可欠なモルヒネが時として麻薬になってしまうように、スーパーヒーローもまた過剰に干渉しようとすれば救済以上の呪いを生み出す存在なのだ。

 これが Nighthawk ひいては Gruenwald が辿り着いた結論だ。


 どうして Superman は中東のテロリストを一掃しないのか。どうしてもっと社会の根本的問題を解決しようとしないのか。
 それは彼らがあくまで唯一無二の存在であり、異物だからだ。
 彼らの特殊能力は誰もが手に入れられるものではなく、彼らの活動が社会に与える影響も一時的なものに過ぎない。ヒーローが引退なり死亡なりした際、残された人類にその空いた穴を埋められる保証がないような変化はそれまでの善行を打ち消す以上の禍根を残すことになる。
 
 世界を変えるほどの力を備えながら、その力を最大限行使することのできない — そんなジレンマを常に抱えているスーパーヒーローの矛盾を後世に突きつけたところにこそ『 SQUADRON SUPREME 』ひいては Gruenwald の先見性はあるといえよう。

 残念ながら私はまだ Gruenwald の命題に対する答えを提示している作品に出会えていない。それはあるいは過去に埋もれているのかもしれないし、あるいはまだ誰も解答を導き出せていないのかもしれない。
 しかしこの矛盾を打開する作品が今後現れれば、それはスーパーヒーローの新しい時代の訪れとなるだろう。

こんな人にオススメ

・取り敢えずスーパーヒーローに興味のある人はみんな読んでおこう。


Squadron Supreme Classic Omnibus (Marvel Omnibus: Squadron Supreme)(ぶっちゃけ上の単行本でも十分だがその前後も網羅したいという方はこちらをどうぞ)