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BETWEEN THE PANELS : 『悪魔城ドラキュラ — キャッスルヴァニア — 』 アメコミ読みの感想

 面白いけど序章だよ。でも単独でも観れるよ。
 注:ネタバレあり。

 1455年、ワラキア。巷で吸血鬼であると恐れられている Vlad Dracula Tepes のもとへ Lisa という若い女性が訪ねてくる。医師を志し、科学的知見に基づいた正しい知識を学びに来たという彼女は次第に Dracula と惹かれ合うようになり、やがて彼の妻となる。
 しかし教会は見知らぬ方法で人々を治療する Lisa を魔女と断罪し、遂に彼女は火刑に処され命を落としてしまう。旅から帰ってきた Dracula は愛する妻が人間達の手により奪われたことを知ると怒り狂い、1年後に復讐することを誓い姿を消す。
 そして1476年。約束通り虐殺を始めた Dracula の支配するワラキアに1人の男がやって来る。彼の名は Trevor Belmont — 教会により追放されたモンスター退治を生業とする一族の末裔であった。

 はい、そんなわけで NETFLIX で配信されている『悪魔城ドラキュラ — キャッスルヴァニア — 』をば観了。正直 NETFLIX 自体にはさほど興味が無かったので、本作のためだけに視聴契約をしたと言っても過言じゃない。ついでに言っておくと私は原作となったゲームについてプレイしたこともなければ、知識も wiki などを流し見した程度。吸血鬼というジャンルにも大して食指が動かないパーフェクト門外漢だ。

 じゃあ何だって本作を観たのかと問われれば、答えはただ1つ — Warren Ellis がストーリーを手がけているからに他ならない。
  Warren Ellis とは誰か?
 普段アメコミを読まない人にもわかるよう手短に言えば、それまで全身タイツを履いた人間魚雷でしかなかった Iron Man を現在誰もが憧れるテクノロジーの結晶に進化させた人物である。
 それだけじゃない。
 彼は AUTHORITY という作品で21世紀のスーパーヒーローの礎を築き、 GLOBAL FREQUENCY で『シン・ゴジラ』を髣髴とさせるようなスマート・モブの活躍を描き多くの者を驚かせた。ゲームの世界でも彼が参加した DEAD SPACE は宇宙を舞台にしたゾンビ物という新ジャンルを開拓したし、だいぶ改変されたものの『 RED 』という映画も彼の手がけた同名コミックが元になっている。
 ぶっちゃけ私は彼の手がけた作品ならば MARVEL ヒーローが移動中にミサイルで吹っ飛ばされて全滅したり宇宙に内臓を撒き散らしてしまうような作品でも喜んでみるほどのファンだ(ええ、 RUINS のことですよ)。
 
 そんな私の視点から本作を語ってみたいと思う。

 ……と、その前に。まずは軽く本作が制作された経緯について語っておこう。
 そもそも本作の話が Ellis のお膝元へ転がり込んできたのは2007年。 Frederator Studios (代表作は ADVENTURE TIME など)がゲームシリーズ3作目『悪魔城伝説』を原作としたアニメ映画を制作することになり、その脚本を彼に打診したのが始まりである。
 当時本作についてほとんど予備知識を備えていなかった Ellis (ただし Vlad Tepes については別作品に絡んで調べていた模様)はコナミで同シリーズのプロデューサーを務める五十嵐孝司などとやり取りしながら2008年に1度これを完成させている。ただしこの時点から80分のアニメ映画としてはあまりに時間が足りないことを察し、三部作にする構想を練っていたとか。この第1作目の脚本が今回の NETFLIX 版ファースト・シーズンの原型となる(2作目と3作目はセカンド・シーズン)。

 ところがその後、何があったか制作はお蔵入り。話は2012年まで飛ぶ。 
 この時に本作を実写映画として制作しないかと話を持ちかけられたのが今回 NETFLIX 版でもプロデューサーを務めている Adi Shankar 。インド出身の気鋭クリエイターである彼は某出版社に非公認でとあるキャラクターを題材にした短編映画『 DIRTY LAUNDRY 』を制作したことなどで注目を浴び、この時もブリティッシュ・コミックの代表的キャラクター Judge Dredd を実写化した『 DREDD 』の制作を終えたばかりであった。
 しかし原作のファンである彼は本作を実写化することが必ずしもファンの期待に報いるものではないと判断し、このオファーを辞退。制作は再びお蔵入りする。
 その後再び何の音沙汰もなく数年が経ち、完全に話が立ち消えたかと思っていたところ、この度 Powerhouse Animation Studios の Sam Deats が NETFLIX に本作の制作を持ちかけ、ようやく実現した。
 10年越しに日の目を見た Ellis の脚本は NETFLIX で配信するためそのフォーマットに合わせ多少改変されているものの基本的な流れはほぼ同じらしく、最初のアニメ映画化時の制作ブログで公開された脚本の一部に本作と同一のシーンが確認できる(バーで酔っ払いがする会話シーンとか)。

 さて、そんな経緯を経た本作をこの度観た訳だが、まず率直に面白かったし、 Ellis の色もしっかり出ていたように思え大変満足できた。

 お馴染みの下品で挑発的ながらウィットに富んだ物言いはややナリを潜めていたが、実力は備えていながらもどこか隙のあるキャラクター造形であるとか、各登場人物が効率良く動くようなところはいかにも Ellisの手がけた作品らしい。序盤は低速で話を進め、後半一気に加速するような展開も TREES や DOKTOR SLEEPLESS の彼を思い出させる。
Trevor が Cyclops に向かって短剣を蹴りつける箇所や Alucard に鞭を握られた彼が咄嗟にそれを放り出す箇所など、物語を前進させるキーとなるシーンの手練れた感触は間違いなく Ellis によるものだ。コミックでも MOON KNIGHT などで堪能することができる。

 強いて本作に難を挙げるとすれば物語のテンポがコミック仕様過ぎたかもしれないという点だ。私などは彼がコミック出身だと知っているから脳裏にパネル割りを思い浮かぶだけで済んだが、彼のことを何も知らない人が見るとやや映像が固定した印象を受けるかもしれないとは思った。

 さて、まだ企画がアニメ映画だった頃に3部作の第1作を想定して執筆された本作のファースト・シーズンだが、一方でEllisは万が一映画が失敗して続編が製作されなかった時のために備えてこの第1作を単独作品としても成立するように物語を作っているという風に述べている。

 そんな位置づけにある本作で描かれているのは結局何なのか?

 これを考える上で1つヒントと成り得るのがモブの反応だ。
  Dracula からの襲撃に恐れ慄いている描写もないではないが、普通にバーで飲んだくれたり市場に屋台が出ていたり。いくら眷属たちが昼間襲ってこないとは謂え、子供のいる家庭でさえ教会が大丈夫と言っているからと他の地方へ逃げることなく日常を営んでいる大衆の姿はいささか奇妙だ。 
 彼らは Trevor に指示を出された時にはてきぱき動いて眷属の1体や2体きっちり倒せるだけの能力を持ちながら、どうにも態度が教会など上位存在からの指示待ちというか、自主的に動く能力を欠いているように見える。正直、救うに値するかどうかさえ怪しく感じるほどの愚鈍っぷりだ(ちなみに大衆が総じて愚かに描かれるのも Ellis のシンボル・マーク)。

 そんな大衆の中に本作の主人公 Trevor Belmont が入ってくる。彼がこの作品の“ヒーロー”であることは間違いない。しかし一口に“ヒーロー”と言っても、彼は赤ん坊の時に地球へやって来た宇宙人や、悪の組織に改造されたサイボーグが反旗を翻す類とは少々事情が異なる。
 こういった他の者達は基本的に自身へ新たな社会的責任を課すことで“救世主”という役割に就くのに対し、 Trevor には最初から“一族の末裔”としてモンスター退治を履行する責任が課せられている。彼が Dracula 討伐を決意したのは陳腐なメサイア・コンプレックスからではなく、スピーカーら外部的要因によって本来自らに与えられていたとしての役割に立ち戻ったに過ぎない。
 つまり、前者が現在プラマイゼロ状態の社会へ新たに自分をプラスしようとしているのに対し、後者は欠けていたピースとしての自分を社会の中に還元することでプラマイゼロに戻しているというわけだ(一見 Trevor に近いように見えるのは日本で一般に「やれやれ型」と呼ばれる万事休すの事態にようやく重い腰を上げるタイプの存在だが、あれもよく見ると結局ゼロの社会にプラスしている場合が大概。語るのめんどっちいのでここでは深入りしない)。

 このようにそれまで自らの責任を放棄していた Trevor がモンスターに襲撃されている社会の中に戻って自らの本分を取り戻す動きは、ちょうどある集団では怠け者だったアリが怠け者ばかりを集めた集団の中で突然働き者になる「働き蟻の法則」、あるいはイノベーション論でいうところの「パレートの法則」に近しい。

本作の Trevor Belmont はそんな有機的方法で出現したヒーローである。彼は別に大きな志を持った異分子ではない。行動原理だけにおいてはその他の大衆と同じ Business as Usual (通常営業)を履行する組織の一因なのだ。こういった人物が先に上げたプラス型ヒーローと大きく異なるのは、不自然な道程で出現する彼らが総じて社会にロクな結果をもたらさないのに対し(大概は停滞かディストピアになる)、自然発生的に出現する彼はミューテーションであると同時にイノベーターでもあり、結果としてその活動を通して世界に変革をもたらし文明を前進させるという点だ。

 今回のファースト・シーズンはそんなイノベーター型ヒーローの誕生、あるいは再生の物語として観ることができる。そういう意味で1つの物語として成立していると同時、彼が実際にどう世界を作り変えていくかという過程を描いていないという点で3部作の1作目としても成立している。

 そう、本作はダーク・ファンタジーの様相を呈していながら、実は立派な SF であり、 Ellis の痛烈な現代社会批評なのだ。
 このことは Dracula が一般的な怪物としてよりも科学の徒として描かれているところからも窺い知ることができる。
 そして Ellis がもっと自由に物語を作れたと語るセカンド・シーズンではそんな Dracula によってもたらされた新たな文明の波に Trevor がどう対応していくかが描かれていくのではないかと私は考える。

 ……と、まあ。長々とは語ってみたものの、こんなのはあくまで私個人の感想だ。深読みし過ぎなところもあるだろうし、指摘が的はずれなところもだいぶあるだろう。
 まず本作はエンターテイメント作品であり、それはつまり頭空っぽにして楽しめるかが何より重要となることを意味する。その点において本作は十分合格点に達している。

 素直に面白かった、セカンド・シーズンへの期待に胸が膨らむとシンプルに感想を述べてひとまず筆を置くことにしよう。

 P.S.
 本作において Trevor が自らの社会的責任に回帰する姿は Ellis の代表作 TRANSMETROPOLITAN で一度都会を去った主人公 Spider Jerusalem が再び反骨のジャーナリストとして真実を追い求め始める姿と重なるところがある。本作を読み解くヒントがあるかもしれないので、興味がある方は是非とも手に取ってみると良いだろう。